平成日本紀行

男達が草食系となった、と言われて久しい。

 

その大人しい男達の間を縦横無尽に動き回り、まるで男狩りを楽しんでるかの様な人種の女達がいる。

昭和では見られなかった新種族に見える。

平成になってから徐々にそんな印象が強くなった。

 

男と女を強弱の力関係だけで語りたくはない。

しかし、結果論的には男達の対女への対応力が著しく低下しているのは確かである。

 

此処からは僕の独断と私見の極みだから怒りを感じたら即読むのを止めて頂きたい。

 

どんなに無教養であれ低収入であれ、かつての男達はお相手する女に対してかなり強固な意志、ないし矜持を以て接していたと思う。

全部が全部じゃないけれど…ね。

 

如何なる事情あれど、セックスを手段とする女は認めない!

…詰まり、んーと端的に言えば『尻軽女』に対して、意志を以て一線を引く事が出来る男達が質的にも量的にも主流だったと思う。

 

そしてまた、尻軽女にもソレなりの自覚というモノもあった様な気がする。

尻軽というのは人間社会の中では引け目を囲う質のものだという…。

少なくとも尊敬、尊重はされない、と。

 

平成は尻軽女達に、自信と勇気と市民権を与えたかの様に…流れた。

と同時に、男達のかなりの部分がセックスはセックスだ!との即物的価値観を有難がる風潮も支配的となるのである。

 

セックスほど原始的であり、また一方で高尚な文学的表現迄を包合する人間の行為はない。

セックスには量から質に至る様々のレベルの過程が用意され、『行う人各々の質がまんまで表現される』のだ。

 

セックスはカネに似ている。

使い方によっては悪魔から神様の領域まで表現出来るという点に於いて。

 

仕事も性格も申し分ない!と思える若い男が、いとも簡単に『尻軽女の軍門に下るの図』を見るに付け正直、驚きを隠せなかった。

ソレもイケメンだったりすると、相手の尻軽おブスちゃんとどうしてもイメージがシンクロしないのだ。

 

ある時ハタと気が付いた。

 

小綺麗に育てられた男達。

間違いを犯さない様に、親や教師達に先回りで軌道修正され言いなりで育ったせいなのだろうと。

彼等には『自らの意思でチョイスした経験』が圧倒的に不足しているのだ。

 

自らの意思での行動は、若い時分に於いては大抵失敗する。

だから理屈抜きに数多くの失敗から『(~する)べからず集』が習得出来る。

 

失敗集はやがて考えるんじゃなく、瞬間的に『感じ取る力』となってその人間を助ける様になる。

その『失敗の数々が質へと昇華を果たす』というプロセスがスコーンと欠落してるのだ。

 

質的感覚は圧倒的な数量をこなさない限り身に付くものじゃない。

詰まり、『哲学を持たない同士』として彼ら(彼女)は梅にウグイス的に釣り合って結び付いてるのだ。

 

セックスはセックスよ!そうだね!…となってアリャりゃ?結婚しちゃったよ!と運ぶんだなぁ…。

 

自由に好き勝手を演ってる様に見えた尻軽女達にもまた知らない事がある。

相手に対して、一つや二つはリスペクト出来る点がないと性欲だけじゃ飽きるって事だ。

 

性欲を駆使した男狩りの中で、飽きては相手を変えてきた自分の経験がまるで活きてないのである。

恋愛と結婚は違うのよ!とばかりに逃がすものかと男を結婚に引き摺り込むんだけど…。

その男を自分が性欲を使って簡単に落とした事を忘れたのか?

考えてみればそんな相手をリスペクトしようが無いのである。

 

自分が敵わない部分を有する相手だからこそリスペクトは生まれるのだから…。

 

恋愛も結婚も質的には同じなのだ。

他人同士の男と女が一緒に演じるという点に於いては…ね?

 

良くも悪くも女は即物的で感情的で現実的。

良くも悪くも男は理屈が勝ち、頑なで理想主義的であり社会的である。

 

平成は女性の価値観が圧倒的に男性的価値観を凌駕したのだと思う。

 

生涯年収と権威から逆算して最小の努力で最大の効果を得んとする『今を消化していく』という『無駄を省く生き方』が推奨され過ぎたんだろう。

 

哲学だの美学だの理想だの夢だのは…地位と富を掴んで安全圏に逃げてからにしなさい!

そんなのは、あなたの順調な進路を狂わすだけなのよ!

…平成の母達のヒステリックな声が今日もアチコチから聞こえ来る様だ。

 

なんかそれ、違う気がする。

そんな言葉を挟める勇気ある男は絶滅危惧種の様に…滅多にお目にかかる事が出来なくなってしまった。