追悼の

追悼の意味か?テレビで内田祐也の十階のモスキートをやっていた。

 

まともにやっていた人間が壊れていく過程を描いている。

それはそれで分かるけれど、観念的と言えば観念的に過ぎるかも?なんて事を思った。

 

同じ系譜か分からないけれど、金子正次の『竜二』はアウトローから真っ当な世界に帰ろうとしながらもまた、アウトローの世界に帰っていく人間を描いている。

 

不思議だけど…アウトローに舞い戻って行く男の心理の方が文句なくスッと入って来るのだ。

 

両者ともクソッタレ面白くもない一般社会の中で煮詰まるんだけど、モスキート君は壊れてドロップアウトしてしまう。

一度は堅気を目指した竜二君は、自分の妻がスーパーの安売りの列に並んでいるのを見た時に『意志を以てアウトローに回帰していく』。

…この両者、善人と悪人の差なのかな?と思った。

 

自分の悪徳を知っておく事が大切なんだと改めて感じる。

ソレを知らずに進むと自分の悪徳によって振り回される事になりかねない。

 

校長さん教頭さんクラスの、いわゆる一等真面目な商売の人達がいきなり(?)少女買春なんて事件を引き起こす。

自分の中に住み着いている悪徳を知らぬまま、綺麗な善人として壮年迄を過ごした為の悲劇だと思う…。

 

自分でありながら『自分を制御し使いこなす事』は至難の業(わざ)なのだ。

自分の命令に自分が従わないのか?自分に命ずるべき目的と意志を持たないのか?

定かではないが…この歳になっても未だに自分が自分の意のままにならない。