あるコラムで

あるコラムで、承認欲求の歪みがバイトテロに繋がっているとの指摘をしていた。

 

『自分が自分を承認出来ない悲劇』が進むと、こういう欲求の吹き出し方になると言及していた。

そういう欲求不満は昔からあった筈なんだけど何故今の時代、短絡的に実際の行為に及ぶ様になったのだろうか?

 

『体制』とヨロシク演る方法は、今も昔も変わらずひたすら権力に『恭順の意』を示しそれを実行し続けるしかない。

 

全てがシステムとマニュアルでガッチリ固められ階層化が固定した今は、例えその様に振る舞っても報われる領域に引き上げて貰える余地が無くなっているから事は深刻だ。

 

自分を殺してコツコツ働いても『我慢し甲斐』がないのである。

何一つ報われる事がない。

 

その状態を長い未来に映したら若者が絶望を囲っても仕方ない様な気もする。

実社会に出たばかりの若者が早くも老後に備えて『死ぬ準備に専念』するのも笑ってばかりはいられない。

 

皆が皆、『自分の問題に専念する事』によって社会は閉じられ殺伐とした風景を醸し出すといった誤謬でスパイラル…それは底無し沼の如くである。

 

自分大事』で幼少の頃から散々演って来たその実験結果をそろそろ各々が足を止めて見る時なんじゃないの?と思うのだ。

 

直接的な損得から離れて、一回他人の為に出力してみたら?

それによって他人が喜ぶ様こそが『自分を承認』出来る契機となるのだ。

 

綺麗事じゃなく、人は自分一人では自分を承認する事さえ出来ないんじゃないか?

自分の行為を喜んでくれる人を通して自己肯定がフィードバックされるのでは…と思うのだ。

 

それは年金や保険ほど物欲を保証してくれないけれど、苦しみ足掻きながらも、人との関わりによって自分は自分を肯定して生きれるという安心感は『自分の存在に対する保険』となる。

 

いわゆるイイ人症候群は、性格の悪い高慢な女に連綿とする様な生き方なのである。

自分の価値が損ない続けるだけだ。

 

そんなエネルギーを、本当に助けを必要としている人に向けてみる事だ。

その時得られる…自分は人に喜んで貰える存在なのだという実感こそが『自分復興の鍵』になると思う。