何かの番組で

田中角栄とその第一秘書の佐藤女子(越山会の女王)との関係を取り上げてたのを観た。

 

角栄の分身と言われた彼女は、角栄から発信される語られることのないあらゆる情報を雰囲気だけで『受信する名人』だったとか。

 

昨今、アメリカ式の軽薄(?)で上部だけのレディファースト文化がこの国にスッカリ定着し、おブスでおバカな女の『言ってくれなきゃ分からない!』という論理がスッカリ男達を組み伏してしまっている。

 

ストイックに真摯に状況と人間に向き合っていれば、人違えども大体の事は察しが付くはずなんだけど。

 

『言われた事を演る』仕事が主流となり、『出来ない人の気持ち』ばかりをおもんばかる悪平等主義の影響もあって…言葉じゃなく空気で正確に受信するという人は希にしか居なくなった。

 

情報と言えば『発信ばかり』を騒ぐけれど、肝心な『受信する事』にこそ人の能力は体現されるのではないか。

『感じ取る力』だ。

 

男と生まれ女と生まれ…それだけ『高度なテレバシー』で交信出来た二人は人としての『最高の質の世界』を生き抜いた幸せ者だなぁと思った。

言葉を発する人間、故に言葉を越えた理解の交信は奇跡の瞬間なのだ。

 

 

何もかも言葉にし、数字で示してコミュニケーションを図るアメリカンビジネス。

コスパの名の下に、価格の安さだけを強調し発信する側。

それを見てマジに受信する軽重浮薄。

自分の作品を詰まらないモノ、安物と強調して喧伝し、それがカネの安さを動機に食い付かれる。

どこまでも『数量の世界』を漂い彷徨って生きるんだろうなあ。

 

現実の数字(年収)や形(会社名)ばかりを求める婚カツ女子とやらをみる時…『打算』を決め手に相手を探してる様にしか感じない(あくまでも僕の私見です)。

打算で得たものは所詮…新しい打算で瓦解していく定めにあると思う。

 

様々な思いを空気中に融かし込みたいと思うんだけど、どんな鈍感な人でさえも感じざるを得ない位のコンセプトの密度を体現するのは中々出来るモノじゃないなぁ…。