コンセプト

様々なコト、モノの全体を通して貫かれる骨格となる観点、イメージ…それがコンセプトだ。

 

要するにモノゴトが完成した時に体現されるイメージなんだけど。

例えば、パンを焼く。

それ自体が目的となったパンは只のパンであり単なる食べ物だ。

これに『ヨーロッパの童話に出てくるパンのイメージ』というコンセプトを設定すると、中世ヨーロッパの食卓が見えて来るし、ソコに座っているお伽噺の主人公達の表情まで想像出来るモノとなる。

 

『パンを焼く』のは手段であり、目的はその『コンセプト表現』である。

僕は個人的に、コンセプトを『企画意図』と訳している。

 

さて、何でコンサル気取りのややこしい話をするのか?

と言うのも、コンセプト不在のカフェだのパン屋さんだのが乱立し、『どんな』が不在の『居場所作り』なんてのが流行ってるからだ。

 

コンセプト不在の作品には素材一つ取ってもコレでなきゃ!という『必然性 』がない。

せっかく作り上げた作品や空間に何の主張もないから、何より作り手自身が完成と同時に飽き飽きしているといった風情が漂っている。

 

いわゆる出自に物語を持たない『アリキタリ』そのものなのだ。

 

先般、業界雑誌の取材を受けた時、ウッディを売り物にした郊外の店について喋った話である。

何でウッディな山荘で焼ソバがメニューにあるんだろう?うどんとか蕎麦なんてのもある。

オーナーはオールウッドです!と得意気なんだけど、日常の生活感溢れるメニューによって空間そのものを自らスポイルしている事に全く気付いていないという悲劇。

 

古民家カフェなんてのを覗いて見ても焼ソバだのうどんだの蕎麦だの…そんな『考える横着』をするオーナー達の定番メニュー。

『何の為に古民家スタイルにしたの?』…答えは大抵、今流行ってるから! 

女性の取材者に、『詰まんねぇ!』と思いながらリポートするのは疲れるでしよ?と聞いたら大いに笑いながら頷いてた。

 

コンセプトなき発信が垂れ流され、コンセプトなき受信者が目的なくそれをなぞる。

インスタ映えと称する『変わった食い物の写真』。

それは変わってるんじゃなく奇妙キテレツなだけって事に行き着くのだ。

 

そんな全ての現象は『行う人達の生き方のコンセプト不在』から起きている。

『手に職を付ける!』って地道で良い考えだけど…経済的理由のみだ。

例えば美容師なら『どんな美容師になるか』が抜けているから途中で頓挫する場合が多い。

どんな?という想像に限界はない。

目的となるコンセプトがあれば、端からは苦しそうに見えても本人は嬉々として取り組み続けられるのだ。

 

コンセプトはいきなり出来上がらない。儲からない。

だから計算高く、横着で小器用な人は絶対に手に出来ない。

 

コンセプトは仕事に人生に『自分独自』を求める人だけが手に出来るアイデアを無限に生み出す魔法なのである。