ひとり上手

ひとり上手…

なんて言うと『裏街道でひっそり生きてる女』なんて演歌の歌詞がイメージされるけど。

 

勤め人を長らくやって退職、薔薇色の老後かと思いきや『孤独病』に悩む人が多い。

人の間を泳ぎ生き、上手く演って来たって人が冒される病らしい。

 

どうしてソコまで悩んじゃう?

 

波乱万丈、有為転変に生きて来た僕には理解出来ない心理だけど、結局自分が『何を必要として生きて来たか』が問題なんじゃないか、と思う。

 

迎合したり、嫌だと思う事をしないのはハズレ者。我が儘人間だ。

だから、誰彼となく上手く付き合わなきゃならない!…そんな強迫観念の結果、人からイイ人と思われる事こそ命!と盲信して生きて来たのが原因になっているんじゃないかな。

 

己の評価を他者の視線に委ねるような生き方を長く演った為に、肝心の『自分は楽しいのか?』がスコーンと抜け落ちてしまい、本来の生き方の指針に使えなくなっている人達。

会社名や役職名で自分を紹介。

退職したら「アイアム…」の後の己を説明する固有名詞を失っていた…って事なんだけど。

 

年長者なんてウザくて面倒臭いのが当たり前!

それで良いんじゃないか?

余程の人格者じゃなきゃ、若い人達が慕って周りに集まって来る、なんてのは無い。

 

 

僕は心理学者ヴィクトール・フランクルの意味論の信者だ。

救われるからである。ま、無信心な分、心の拠り所でもある。

 

『自分の人生の意味』に気付く事。

彼は言う。死の一分一秒前まで、それに気付くチャンスを与えられているのだと。

 

己の本意を曲げて生きても『自分の本来の意味』は見えて来ない。

その年になって与えられた『寂しさ』には自分の人生の意味の答えが込められている。

 

強迫観念的に若い人に媚びるんじゃなく、

「この寂しさの正体を突き止めてやる」と一人浸ってみる。

すると、そうか?!そうだったのか!自分はそんな事を恐れていたのか…的な答えが提示される筈だ。

 

ある人が僕を『イジメ甲斐が無い人』だと評した事があった。

幾ら苛めて仲間ハズレにしても…僕は早々に一人で楽しそうに遊び始めるんだそうな。

「我慢してつるんでいても楽しくないからね」と言えば、「ソコ、ソコなのよ」と。

「普通は何とかして欲しくて媚びて来るもんだ」と彼は言った。

 

何となくカッコイイからそれ以上ネタばらしはしなかったけど、

僕は理由もなく人を仲間ハズレにする人間が怖いのである。

それはそれはとても…。

臆病だからそれ以上顔も見たくないし、口も利きたくない。

 

要するにそんな人達との付き合いを全部スッパリ諦めてしまうのだ。怖いもん。

『諦める事』がとても大切な自分防御の方法だと知ったのは、随分と後になってからだけど…。

 

そうこうして『一人上手(?)』になれたのだった。

余程の物好きだけが僕の側に来て付き合ってくれる様になった。

 

そんな出会いはお互いが全く無理していないから必然の知り合いとして安心感に包まれるのである。