自分が正しくて

どんな問題でも自分が絶対に正しくて負けない人は、肝心な局面で大いに間違い勝つことはない。

 

他者に対する狭小で狭量な態度はそのまま己の思考を狭め、狭い選択肢の檻の中に閉じ込めてしまうからだ。

 

『学び』は敗けや失敗の中にしかないのだが、絶えず勝ち続けたい人だから折角のチャンスを悉く否定して遠ざけてしまう。

 

時を経るに従って要求される実力のハードルは上って行く。

必然的に、敗けや失敗を拒絶し遠ざける態度は実力不足に拍車をかける事になる。

 

天賦の容姿や才能もそのままでは衰えるのみ。

後天的な努力があればこそ足りなくなる実力を補えるのだ。

 

そういった生き方はやがて頑迷の領域に踏み込む。

幼稚なままのメンタルは、寂しさと焦りから宛ら人間コレクターかの様に周囲に凡庸な人達を集め配置する事を要求するに至る。

 

何時も群れていながら、孤独で寂しい人間の完成である。

些末などうでもよい問題においても何時も好戦的な態度で挑み、他人をやり込め様とする。

 

自分の事は自分一人で十分味わい愉しめるのに、『人に勝つ自分』『場を仕切り君臨する自分』となってやっと己を感じられる。

自分に対して屈服した人の態度によって初めて自分が確認出来る。

 

独りでいると透明人間のように己が何処にも居なくなり…不安の虜になってしまう。

空白のスケジュール帳を常に『何かで埋める』事に夢中になり、『誰かと会っている自分』をSNSにアップする。

孤独じゃない自分の『証拠』を作る事に余念がない人達。

 

本当に傷つき、地面に叩き伏せられた屈辱を、『自分の事』として体験した人は他人にも自分にも優しくなる。

『負けた事に負けなくなる』のだ。

現実の失敗や敗北から多くを学び豊かになって行く。

 

僕は若い人たちと話す時、自分の酷く惨めな失敗談を選んで話す。

失敗の数と大きさでは絶対君に負ける事はないのだ!と意気込む。

それが君には無くて僕に在るもの。

それが僕のプライドなのだ、と。

 

ダメなオッサン?

そんな認識を得られたらこっちのモンだ。

 

どうしたら上手く行くか。その手のサンプルは極めて少ないけれど、何をしたらダメか。

失敗するか。負けるか…それなら幾らでも示せる。

成功談も失敗談も若い人たちの参考書としてなら同じ価値がある。

 

それもまた『自分の経験を活かす』ことになるんじゃね?と思うのだ。

 

彼ら彼女らには己の独り善がりで『勝ち続ける寂しい人間』にはなって欲しくないから。