麗しの1965~1978(2)

怒れる若者たちの時代の音楽に惹き付けられた理由は一体何だったんだろう。

 

それまでのいわゆる『流行歌』と言われるものはその世界の権威ある先生方が作詞作曲をし、『ちゃんとしたオーケストラ仕立て』が物々しく伴奏するスタイルだった。

 

新人たちはその世界の権威の先生方に認められてデビューを果たす。

曲紹介も形式にのっとった定型があった。

 

自分で曲を作り自分で楽器を奏でそして唄うシンガーソングライターの登場は、当時の若者たちと同様に威力権力をモノともせず、強烈に自由に自分をアピールするスタイルそのものが革命的だった。

 

時は流れ...現代、そのスタイルの実践者が権威になるという皮肉な現象が起こっている。

デビューを果たしたデュオを真似てストリートライブを演る、なんてのが教科書(マニュアル)となってしまった感がある。

 

アイデンティティの体現力が稚拙で弱いのは、そんな出自の人達が増えたからだろう。

ステレオタイプの『励ましソング』だったり、自分すら守れそうにない脆弱な若い男が『君を守りたいソング』をお手軽に唄っている。

 

皮肉な事に今は、突き詰めた『ちゃんとした本物・本格派』を求めるマインドが強まっている様な気がする。

いわゆるプロフェッショナルの時代だ。

 

脂ぎった業界のオッサンに平身低頭のかつての流行歌手。

マニュアル通りストリートを経て『勇気や愛』を叫んでいる今どきのミュージシャンも、やっぱり業界の権威者たちの『手駒』になっている様に感じてしまう。

 

かつての音楽での反逆者たちに代わって、ホリエモンなどのIT業界の猛者たちが権威に挑み時代を変化させているのかな。

 

『風に吹かれて』で、「友よ、答えは吹き来る風の中にある!」と唄った反逆者ボブ・ディランはノーベル賞を与えられ、プール付きの大豪邸に住む矛盾。

あの麗しの時代からの変遷がソコにある。

 

彼は最高の権威であるノーベル文学賞を貰う事を散々躊躇い、先延ばしした挙げ句...

しぶしぶ代理人に受け取らせた。

元反逆者のボブ・ディランもさぞかし戸惑ったのだろう。

 

でも、彼は恥じる事はないのである。

彼のあの時代の詩が今なお、人々の心を打ち続けているのだから。

彼を語るのにノーベル文学賞など全く必要としないのだから。