解り易いってどうなのよ?

解り易い判断基準が横行している・・というより、解り易い基準で判断してそれ以上悩みたくない!という傾向が断然強くなっている気がする。

 

事が決まれば、決めてしまえばそれ以上悩まなくて済むから。

そうやって『最小疲労で得た結論』の中に籠城し、そこに向けられる外界からの反対意見、非難、責任論には一切無反応を決め込むやり方が主流になりつつある。

 

判断基準に善悪もなし、正誤もなし、周囲が忘れ去るのをヒタスラ待つ。

原発問題なら「節電だぁ!」「産業に影響が!」となれば『仕方ない』を導く簡単省エネ思考で忘れ去る。

かく言う僕もその一人。

 

いじめ?面倒くせぇなぁ・・となって現場教師には見て見ぬふりが流行。

校長から伝え聞いた教育委員会も阿吽の呼吸で「無かったよね。」の結論を出す。

 

解り易くてお手軽な思考で結論を出すのはとても楽だ。

しかし、その楽が世の中を息苦しく生きづらいものにしている事に気付かなきゃヤバイんじゃね?

既に、もう今が・・・ね。

 

そんな思考方法は『お互い様』の双方向だから、する人はされる人でもある。

自分だけは・・と抜け掛け気分でケチケチ貯蓄すると、実は皆もやるから全体がデフレ。

己も不況をモロに被る事になるのと同じだ。

 

一つの決定には様々な要素が隠れている。

子供並みの刹那主義で省エネ思考を続ければ、嫌でも深い問題が発生する。

カネだったり責任回避だったりってのは、とても解り易い欲望なんだけど・・・。

 

そんな安易な決定によって、とても深刻な状況を迎えて右往左往・・って事になる。

余計な面倒がソコココに溢れかえる。

 

イジメなんて無い事にして被害者遺族の怒りを買って、深刻なイジメ問題どころか・・・何の解決もできない基本的職務放棄の組織として恥を晒し、被害者とその遺族をより深く傷付けて新たな罪を作る。

 

責任を取るのには己の失点を自ら告げるプライドと自己愛を必要とする。

自分に「都合の悪い選択」をしようとすれば勇気がいるのだ。

 

その瞬間だけじゃなく、その問題の過去、現在、未来への起承転結を想像して様々な要素を思考しなけりゃならない。

そうするからこそ禍根を残す事なく解決に導けるのだ。

 

『お手軽・便利・都合良く』って奴をろそろ止めないと、世の中みんな酸欠になっちゃうんじゃない?

 

稼ぐのもプライド守るのも「他人に害を及ばせない!」って覚悟がなきゃ元々成立しないものだよね。

 

そんなの知るか!俺は今の自分が大事なんだよ!・・他の人?そりゃあその人が解決するさ・・・と都合よく思考不足になることから始まった我田引水ごっこ。

最後は結局みんな水不足になりましたとさ・・・ってね?