コピペ文化の襲来

ネットで流通する情報の主流をなしているのがコピペ(コピー&ペースト)と呼ばれる手法だ。

 

他人の文章をバラバラに分解し、誹謗中傷を目的とした自分のストーリーに適合するセンテンスを次々とコピーし集めてペーストし、己の主張を埋めていく。

そうやってガセネタの完成となる。

 

これはネットに由来する問題なのか?

 

最近・・・現代の複雑怪奇な世情を紐解くキーワードは、僕たち国民の『無思考化』なんだと思うに至った。

それらしき「の様なモノ」として原因のイメージはあったが、ピンとくる言葉が見つからなかった。

 

先般のハンナ・アーレントの『無思考が凡庸な悪を作る』・・の記事で、入り乱れていた頭の中が一気に因数分解され整理されたのだった。

 

政治や政党、経済のさまざまな世の中の「供給側」に原因を求めても何も変わらず、動かない飽飽としたストーリーが繰り返されるだけ。

 

世の中の「需要・受け手側」の民衆にこそ停滞の原因はあるのだ、とコロンブスの卵的に気付くとスッキリしたけれど・・・気持ちは随分と重くなった。

 

日々発信される様々な情報を、受け手側はほぼ『コピペ処理』してるんじゃね?!

それで会話し、何やら「意味のある話」をした気持ちになって安心していないか。

 

コピペして作った尤もらしい持論を駆使して、分かった振りした者同士が噛み合う筈もない会話して、疑似体験のコミュニケーションで日は暮れる。

頼りは懸命に自己抑制して得る自己納得、自己満足。

 

実感を欠いた、絶えず何か足りない満腹感を得て一日を過ごしている。

一方でいつも意味不明な空腹感を抱えながら『思考の栄養失調症』は進行している。

 

そんな人間たちがマウスをクリックしてるからこその「コピペ文化」なのである。

端からネットに罪などない。

 

クリックを稼ぐ量的判断の基準で運営されているグルメサイトで今晩食べる飯を決め、『イイね!』を集めたユーチューバーに自分が何を着るのかさえ教えを乞う人達。

 

そんな文化がメビウスの輪の上でコピー&ペーストを繰り返し続ける。

 

そこでは元ネタの信憑性など問題ではなく、クリックされる数こそが正義となる。

フェイクなど意に介さない。どれだけセンセーショナルか?

コピペ名人達の荒唐無稽を編み出す想像力だけがモノを言うのである。