ある新聞が、女性政治哲学者ハンナ・アーレントの言葉を紹介していた。
『思考しないことが凡庸な悪を生む』
映画ハンナ・アーレントは難しい映画にも関わらず多くの観客を集めた。
ある作家は、『思考しない時代』だからそれに危機感を持つ人に共鳴、共感を与えたのだと思う・・・と分析していた。
ナチスドイツのアイヒマンのエルサレムでの裁判を傍聴して書いた記事で、彼女はユダヤ人を初め世界を敵に回した。
彼女自身ユダヤ人でありながら、「アイヒマンは単なる小役人であり普通の人間だ」と書いたからだった。
上からの指示に従っただけ。私の意思や思考、信条は皆無だった・・・
それがアイヒマンの主張だった。
世の中の多くの人の塊となった意見に対して、「思考しない人」は無軌道に従ってしまう。
そして何の疑問もなく『凡庸な悪』を行うのである。
アイヒマンは人間の持つ大きな資質=『思考する力』を放棄した凡庸な悪人に過ぎない。
彼女はそう断じたのだった。
現代は分からない事はネットで調べれば瞬時に解決する。
分からない事を抱え、心に留め置く時間=『思考する』が無い。
つまり、全く思考しないで「答えらしきもの」が手に入るのである。
平凡な人間の、思考しない凡庸な悪こそが最悪の事態を招くのだと彼女は看破したのだ。
あたかもそれは、今の日本の状態を正確に言い当てた預言者の様でもある。
財務省のソンタク事件なんてのもこの類の流れかな?
原発事故ひとつ取っても、権威らしきモノが「経済的観点から!」「エネルギーの必要性が!」と言えば、反対の声はサァーーーっと消えていく・・・。
当時元気だったハシモトさんを初め、関西の知事さん達もあっという間に沈黙したのが思い出される。
あなたは・・・あきらかに間違っている、人の道を大きく踏み外している大組織に在って、「私には出来ません!」と言えるだろうか?
思考を止めた人間は『凡庸な悪』へと走る。
とても痛い、胸に突き刺さってくる彼女の言葉である。
昔、ブログで書いた事があった。
田舎の住人たちが無考えに非難中傷を繰り返し、一人の若者を自殺に追いやった話だった。
僕はその住人たちの言動を『無邪気な悪意』と表現した。
余りにも「想像力が欠如している」と書いた。
典型的な『思考しない人達』の、合法的でありながらとても残酷で悲惨な結果を導いた『凡庸な悪』が実行された話だと鮮明に思い出した。
一人の若者を死に追いやったその住人たちは、とても温厚で善良な小市民たちだ。
そこに無思考が至る『凡庸な悪』の怖さがあると感じる。