様々な格好悪い経験を通して、良くも悪くも僕の鼻っ柱はへし折られた。
それでも無様な境遇から逃げず、辛うじて現場で張り続けていたら、一つ一つの事柄うんぬんよりそれら全てをひっくるめた一日全部に対して何となく『食堂のオヤジ』としての矜持が生まれていたのだった。
色んな所から権威らしきものを掻き集めて、それを駆使したコケオドシしか喋れない奴とか、職種や職責を己の力と勘違いして安閑と生きてる奴とか・・・彼らの底が透けて見える様になっていた。
僕の大きな変化は、そんな他人の愚かさを暴かなくなった事だ。
以前も書いたけど、他人に対してマウンティングのポーズが必要無くなってしまった。
食堂のオヤジを現役で張れる事が、それだけで如何に愉しいかを思い知ったという訳なんだけど。
様々なお客様が来店してくれる。
人間は勝手なもので、自分が解脱した領域を現役でやってる人達を目にすると己の経験はすっ飛ばして・・・凄く哀しくなるのである。
アナタ、力が入り過ぎ!そんなのやってたら息苦しいでしょう?!
・・・なんて感じるのだ。
男と男。男と女。女と女。
そこいら中で繰り広げられるマウンティングの応酬。
そんなのを見ると、せめてここでは鎧を脱ぎなさいな、と思う。
せっかくの寛ぎタイムを邪魔立てする邪念は置いといて、『純粋な私情』を解放してあげなさいよ。
ともすれば無理した建前が己の本音を差し置いて、偽りの自分をアピールしてたりする。
他人という奴も自分も・・・ね。
自らに得がなけりゃ人の話なんて拾っちゃいない。
そんなのは只の音!聞き流して垂れ流しにするもんです。
人の本音を聞けるという事は、誰にとっても喜びなのだ。
例えそれが辛く哀しいストーリーであってもね。
先ずは自分から、胸の奥にひた隠してきた本音を表に引っ張り出しましょうか。
それが自己信頼と認知のための第一歩だから。
僕が大昔に考えた『私情解放区』。
頭だけでつくったレストランのキャッチコピーに最近、やっと魂が宿った様な気がします。