マウンティング

元来、マウンティングとは猿などに見られる階級の優位性確認行為といったもの。

 

それが転じて人間社会での優位性を誇示する為の言動・態度として表現されている。

 

社会心理学的にどうなのかは知らないけど、その根幹にあるのはお互いの中に巣食う『劣等感』じゃないかと思う。

マウンティングする人も、されたと感じる人も。

 

少し俯瞰して観ればドングリの背比べみたいなモノなのだけど、その僅かな優位性、劣等性が『閉ざされた社会』の中ではとても大きく感じてしまうのだろう。

 

長く・・・というかずっと某かの不祥事に見舞われ、モノ言えぬ立場を過ごし来た自分を顧みれば、うん!うん!うん!と思い当たる節は多い。

マウンティングをやりもしたし、やられもした・・・と思う。

 

僕が、その劣等感をベースにした非生産的なマウンティングというモノから解放されたのは、『諦める事』に成功したからだと思う。

 

これが自分だ!と惨めな状況全てを認め受け入れられる様になると、その不要な劣等感は嘘のように霧散し消えて行ったのだった。

 

江戸時代の人口の85%を占めていた農民が何故団結できなかったのか?

・・・これもお互いがマウンティングに執着して、ドングリの背比べしながらいがみ合っていたからなんだろうなぁ。

 

一対九の金持ちと貧乏人の比率。

人口の90%の貧乏人たちは自ら分断し、孤立へとひた走る。

纏まれば大きな力なのに、より無力となることに拍車をかけている。

 

一ミリほどの背丈を貰うために哀しい抜け掛けに夢中になっているのは、江戸も平成も・・・庶民というのは一緒なんだね。

その心理が理解できる自分もその一人だけど。

 

マウンティングは加害者側も被害者側も共に傷付け、共に哀しくさせる。

 

オードリーの若林曰く・・・もう少しすればマウンティングは流行らなくなるんじゃないか?

斜に構えてスカしてマウンティングに夢中だったけど、食わず嫌いを止めて交わるようになって初めて、その人の本当の味わいが分かる様になった・・・とも。

 

他人のメンタルから活力を奪ったとて自分も哀しくなりマイナスを囲うだけ。

人との交流は貧しくとも出来る。

カネの世界で果たせないなら・・せめて気分はプラスを得て生きて行こうよ!と、そんなメッセージを発していた。

 

劣等感満載の僕も・・・それに賛成!