町興し

町興しって何処でも盛んだけど、その手法となれば少ない成功例を鵜呑みにした「アリキタリ」になるのは何故だろう。

 

誰かが何処かでやって上手くいった!という方法ゆえに安心できるのかもね、とも思うけど・・・。

急ごしらえのご当地グルメ、おしゃれカフェ、手作りパン屋さん・・・そんな情報(?)を「発信していきたい!」などと仰る。

 

もう、嫌になるくらい書いてきたから一行で・・・

 

「そんなモノを一体誰が受信したがりますか?」

 

『それを』を、考えないのだと思うのね。

人が発信発信と騒ぐ時にはその逆の『受信』という側に答えはある。

自分が欲しいと思うものは人も欲しいということだ。

 

計画が仕上がる頃には、この町でなきゃ!という理由は無くなっている。

ウンウン!そんなの取組みそうだよね~って感じの、座りの良いアリキタリ町興しが完成している。

 

この、全国的同工異曲の『金太郎飴現象』にはコンサルタント流行りとセミナー文化が大きく影響していると思う。

 

飲食店業界でも「繁盛店つくりセミナー」なるもの全盛だけど・・・コンサルの真贋の差こそあれど、メニューを含めた『自己コンセプト』を他人に聞きにいく時点でその経営者は終わっていると思うのだ。

 

町興しも今は六次産業化の戦いが主戦場となっている。

打ち出しの三次産業では個性が決め手となる。

 

コンサルから成功例に基づいて教わり、その折角の個性をアリキタリ化して売り渡しているようにしか見えない。

 

全国的な町興しの成功例を見れば、そこにコンサルは存在しない。

その町の個性的人間が、創意工夫して打ち出して成功を手にしている。

 

ネットとマニュアルで標準化された今、個性にしか価値はないのだ。

 

リスクを恐れ、権威を漂わすコンサルに依存した時点で売るモノの個性は失われている。

安全に、何かにすがるというその初志のレベルの悪さこそが最大のリスクになっている事に気付いて欲しい。

 

男選びの婚カツとやらも、複雑怪奇な「男」というものを浅はかな『年収カテゴリー』のみで判断したつもりになっている。

その浅はかさが破綻を予感させるのだ。

年収は個性ではなく男を標準化して比べる一つの目安に過ぎないのに・・・。

 

昭和のリスク管理は今や、リスクを生産している気がしてならないのですよ。

 

これは、感性の堕落というのです。