ここのところ・・・

ここのところの文章を読み返してみれば・・・

寺の坊主かカウンセラーにでもなろうとしているかの様に複雑にして難解。

そのくせ中身のないものが目立つ・・・。

 

大概、妙な理屈を捏ねまわすときは絶不調の時と相場は決まっている。

それに気付き大いに反省した次第です。

 

んで・・・最近ふと気付いたことがあった。

 

人品というものは型式のマニュアルがあるわけじゃなく、然り気なく、

嫌が上にも漂ってしまうものだという事に思い至った。

 

人の個性というものの集大成が人品となってそこはかとなく漂い、

その「人と成り」を表現しているのだ。

 

訳知り顔のウンチク屋さんは論外として、虎の威を借りて「どうだ!」と言わんばかりに

御高説を述べる方多く、辟易を通り過ぎて祟りのレベルに当方打つ手なし!ってな

局面がよくある。

 

客の誰かがウチのビーフシチューを褒めると、「フランス修行の長い●●シェフのは

こんなもんじゃない!」なんてノタマウ。

 

知るか!そんなもん。

 

「その店に負けないくらい美味しい!」なんて妙な上から目線の褒め言葉も同罪。

祟りマンに認定!である。

 

狭い見識のボロ風呂敷をめいっぱい広げて、「凄いだろ?」アピールの図は

文化貧乏そのもので、人を哀しくさせて余りある。

 

無学な親が子供の尻を叩いて「お受験」に猛進する姿にも同様の哀愁が漂う。

自分の不遇を全て学歴のせいにしているその姿は・・・そんな「文化貧乏」だから

今の貴方境遇なんですよ!と、教えてあげたくなる。

 

ちょっとした私学の進路指導の教師より大学について饒舌にしゃべること喋ること・・・。

薄っぺらい価値観がアカラサマにツバ飛ばしてる。

 

斯く言う自分も若い時分に権威主義を刷り込まれてた節があった。

独立起業して一本ドッコとなればそんなものは消し飛ばされ、剥き身の実力を付けるしか

なかった。

 

小賢しい田舎銀行の融資係の鼻持ちならない権威主義な態度に何度も惨めを囲ったこともあった。

 

今ではそれを逆に手玉に取って、「今更ながら、貴方様にはこんな常識は『釈迦に説法』ですがね?」などという枕詞で自説を述べて、ありもしない「常識」にホイホイ頷く彼らを正面から見据えている。

 

人品のニュアンスを素直に感じ取ればわかる事だが、中には『ホンモノの人』もいる。

地位や立場が低かろうと高かろうと『人品』は正直にその人を語る。

 

君は何処で修業したの?なんて来る輩には、「貴方は何処にお勤めで何を修行されているの

ですか?」と聞いて差し上げるのが良いのだけれど、それも文化貧乏の弱いものイジメと

気付いてからは演らなくなった。

 

『スルーの術』を得とくしたのだ。

 

自分の立ち位置を知る事は卑屈になる事じゃない。

自分如きの上に「どんだけ~」のレベルがあるのかを知る。

そこが自分を旅するために必要な道標となる。

 

客観的に自分を計れること、それが文化を会得するための第一条なのである。

 

権威主義に踊って手に入れる学歴のように、主観という奴はヒタスラに「思いあがり」を

助長して、人を醜くさせていく。

 

・・・ありゃりゃ。またまた面倒臭い話になりそうだから、これにて終了。