不謹慎厨の心理

自分の恥を晒すことになるけれど・・・。

 

長年、他人が開けた穴を埋めては掘り返されるという『穴埋め』に終止した仕事の流れだった。

罪を犯して逃げた奴らは、彼らなりの良心の呵責からか責任逃れの説を滔々と宣う。

(僕が悪いという自説を作り上げる。)まぁ、それは人の心理として許そう・・・。

 

腹立たしいのはその周辺で跳梁跋扈する人達である。

事情も分かっていないのに、超インスタントな正義感に燃えて職場を荒らしににやって来る。

 

それでなくても疲弊している身としては、やるせないことこの上ない。

しかし、言いがかりの疑いは晴らさにゃならぬ・・・と面倒臭いけれど事の次第をかいつまんで話してやれば、奴らが作り上げた都合の良い話みたいに「面白くない」し、奴らを擁護する姿勢で意気込んで捲し立てた分きまりも悪い・・・。

 

そして、僕は最後に「正義の使者達」に世の中の極めて当たり前を静かに言う。

「あのね、会社の金を盗んでパチンコに使うのはイケない事なんだよ、ね。」と。

 

そんな軽々しいインスタントな正義に裸踊りする人は、自分の暴挙暴言を決して詫びる事はない。引っ掻き回した挙げ句にスゴスゴと逃げるように消えて行くだけである。

 

言葉の正義に酔いしれるのはとても気持ちが良いんだろう。

ソコには責任もなく恥もなく苦痛もない。

安全な場所に身を置いて、人を謗(そし)り罵倒し貶(おとし)める。

 

嫌な悲惨なニュースに飢えていて、絶えず嗅ぎまわっている・・・そんな人達の特徴は目に表れる。

ライオンの獲物を遠巻きに見つめるハイエナの様な潤んだ鈍い光を湛えている。

無意識の深淵な悪意(?)は他人の不幸を見つけると俄然活気づくのだ。

 

不謹慎厨の文脈はなぜ人をシラケさせるのか?

彼らの美辞麗句の出自がその無意識の悪意だからである。

浮ついた綺麗な言葉が殊更にその人の貧弱な人格を語るのだ。

 

根拠が功名心などという下劣な言動行動は、安い正義や綺麗な言葉を使うほどにその人間の下品さだけを際立たせていくものなのである。

 

人の言葉の端切れを、ひょいと摘まんで大言壮語する。

そんな軽い言葉を扱いながら、自分の言葉だけが神仏かの如く作用すると思っている事の不思議である。

 

汝自身を知れ!・・・って事だろう?

 

功名心に取り憑かれる前に最低限、「自分に恥をかかせない事」の大切さだ。

あなたはそんなにご立派な生き方をしていますか?

そう自分に問うた時、些末な日常の個人の問題が社会の問題へと昇華を果たす。

 

いやぁ、お恥ずかしい! 

お互い気を付けなきゃイケませんな・・・と。