最近、独善的な人が多い気がする。
黙って粛々と自分に恥じぬように禅を行うという孟子本来の意味ではなく、
『独りよがりの正義』を妄信している人達である。
全体を見ぬ事、または見えぬ事を唯一の拠り所として繰り出される正義のパンチは
とても人を疲れさせる。
相手の事情、状況を一切考慮に入れず、ひたすら自分の正義でひとを弾劾する手法を
振り回す。その論拠はとても稚拙で安っぽいモノだけど・・・本人さんは義憤に駆られた
人格者のおつもりだから処置に困ることになる。
これは、『被害者になりたがる人』というのと似ていて、正義も被害者も非難されにくい
からだろう。何よりその立場は気持ちが良いのだと思う。
しかし、その図を俯瞰して観れば猛り狂った犬をなんとか保護しようとするのと似ていて、
放置すればその犬は満善を目指す社会では危険物として駆除される運命にある。
犬を救いたいとする側の真意など、身の安全から吠えたてる犬の正義からすれば
理解しようもない。
そんな図の当事者はマイノリティだけど・・・とてもノイジーである。
そんなノイジーマイノリティの声は、組織なり社会の運営を堕落させ、ポピュリズムに
陥らせる。
罪の自覚のない正義の使者たちは、自分の態度や言葉がどれだけ人を傷つけ苛む猛毒が
あるのか?想像しようもないのである。
そもそも、という・・・基本的な問題が抜け落ちた独善的正義は懸命でポジティブな
思考をする人を沈黙させる。
自分という存在の価値を尊重してほしいなら他者の存在の価値も同様に尊重しなければ
ならない!・・・という当たり前を取り戻さなきゃねって思う。
結局そんなインスタントな正義で困ったことになるのは、そういう主張に酔いしれている
ヒーロー&ヒロイン達自身なのだから・・・。