コラム:無理解に悩める人たちへ

 

「理解」を調べていると無理解は分かるとして不理解、非理解という言い方もあるとあった。

  

理解にはどれだけ上達しても何処かのレベルで限界がやって来る。

例えばビッグバンの数式は未だに解明されていない。

 

最近……無理解であるのを良い事にして

不遜や非常識を“知らない振りして押し通す人達”に遭遇した。

そこには如何に努力を尽くそうと『理では通れない壁』がある。

 

こんな時の不遜尊大な態度の人達は

無理解を振りかざし頑迷を武器にして強硬突破を狙っている。 

理解出来ないんじゃなく理解なんかしない!という強い意思をもって

此方の嫌気がさすのを頑迷に狙っている様子がありありと窺える。

 

こんな時に最善の策なんぞある訳もなく……次善の策として僕が至ったのは

『完膚無きまでに叩きのめされ、完敗して差し上げる』というモノだ。

 

彼(彼女)らには、和解などの一切の調整を拒否して我を通す事しか念頭にない。

ならば彼らが満足する状況を作り、一刻も早く逃げる事が賢明な選択だと思う様になった。

 

その代わり敗戦はその一回に限る。

『目の前から居なくなるの術』で次の対戦は何があっても避ける事が前提である。 

 

彼らの手口は下劣にして卑劣極まりないからつい、意趣返しの一つでも……となりがちだけど

そんな自分の狭小な復讐心に負けたが最後……狂犬に手を二度噛まれる事になるだけなのだ。

理解力こそが人間の証……形而下、形而上を限らずだ。

それを不自然にねじ曲げて、『解らんぞ!』を振りかざすのは狂犬に等しい。

 

スタコラサッサのサーと離れる事です。

そしてひたすらに我が身の不明を恥じる事です。

それがメンタルのリハビリになる筈ですから……。